「やる気が出ない」が一瞬で消える方法|自分にはできると思うのは危険です~万能感の弊害

 

やる気が出ない最大の原因は、「善か悪か」で判断するから。選択の基準を「快・不快」に戻しましょう。

 

選択の基準は、常に「快・不快」

そして、「自分にはできる」という「万能感」

この本を読んで、自分の「快・不快」が乱れていること、「万能感」を強く持ちすぎていることを知りました。

「快・不快」と「万能感」を意識してみると、無気力な状態から脱することができると思います。

 

「『やる気が出ない』が一瞬で消える方法」
by 大嶋信頼

「快・不快」を、「善・悪」に変えてはいけない

人間の心のコードは、「快・不快」でできているそうです。(著者談)

「快・不快・快・不快」と、一定のリズムを刻むことが、スムーズに動くコツ。

音楽に例えてもいいかもしれません。

余計なコードが含まれると、心地よかった音楽が、一気に不協和音になる。

「快・不快・善・不快・不快」というふうに。

本当に心地よい音楽を聴いているとき、「ここは正しくない」などとは、思わないですね。

ただただ、心地よさに浸ると思います。

「正しい」とか「善」とかで判断し始めると、心地よさに浸ることができなくなります。

無意識のうちに、つい思ってしまうんです。

 

今の言い方、間違ってたかな?
この選択、間違いかな?
私の何が悪かったのだろう?

 

「正しい・間違っている」「善・悪」で判断しようとする。

「ストイックが好き」「根性論が好き」という人はいると思います。

その人にとっては、「ストイックさ」や「根性」が「快」なのでしょうね。

それを「不快」に感じる人は、選ばなくてもいいということです。

意識しないと、なかなか難しいです。

子どもの頃から、「それは間違ってる」「それはダメ」と言われ続けているからです。

「これじゃあ怒られる!」という気持ちが、こびりついてしまっています。

そうして、「快・不快」コードが乱れていくのです。

もう大人なのだから、自分で選んでいい。

「心地よさの追求」です。

音楽と同じ。

わざわざ、騒音や雑音を聞いて、「これが大事なんだ」と思う必要はない。

心地よいメロディだけを求めたいですね。

「万能感」が人をダメにする。「神のみぞ知る」を受け入れよう。

「万能感」とは、次のようなもの。

 

【万能感の特徴】

  • すべては自分の思いどおり
  • 自分は何でも知っている
  • 自分で何とかしなきゃ
  • これをすれば絶対にうまくいく
  • 何が間違いかを知っている
  • 夢がもてない
  • 無気力になっていく

 

つまり、自分は何でもできるスーパーヒーローなのです。

もっと言えば、「自分こそが神である」という感覚。

だから、何でも自分で判断し、自分でジャッジをくだし、自分でやろうとします。

「万能感」の真逆は、「神のみぞ知る」という感覚

自分には何もわからない、これ以上は神の領域だということを心得ること。

考えてみれば、人間がわかっていることなんて、何もありません。

宇宙の仕組みなんて、解明できないですよね。

生命がどこから来るかなんて、想像でしかない。

「何もわからない」のが真実なのに、「すべてを知っている」かのように振る舞う。

それが、快・不快コードを乱す要因だそうです。

なぜなら、「万能感」は、「快・不快」を無視するから。それよりも「善・悪」で判断しようとする。

スーパーヒーローは、「正義の味方」だからです。

もちろん、犯罪とかは別ですが。

皮肉なことに、「万能感」が強くなると「無気力」になるそうです。

謙虚さを失い、感謝を忘れ、常に正しさばかりを追い求めるからです。

「無気力感」は、人からやる気を奪います。

だけど、「無力感」とは違うそうです。

「無気力感」はやる気を奪うが、「無力感」は謙虚さと感謝を与えてくれる

人間が、最も謙虚な気持ちが引き出されるときとは、大自然を前にしたときではないでしょうか。

 

「人間は、自然の前に無力である」と。

 

無力さを感じると、とてつもなく謙虚な気持ちになります。

無力というのは、悪いことではない。

万能感を捨て去り、無力な自分を受け入れる。

そのときに、人は本当に成長するのだと思います。

都会で生きる現代では、その心が育ちにくくなっているのかもしれません。

まして、インターネットで何でもできる時代になったので、「万能感」がふくれあがっています。

貧しい時代のほうが純粋だったというのは、自分の無力さを自覚しているからでしょうか。

一人では何もできない、力のない自分だ。だから、謙虚にもなるし素直にもなる。人とも助け合う。

「謙虚さ」と「万能感」は、対になっているように思いました。

だからこの本では、「万能感」を捨てたときに、本来の世界が見えると言われています。

自分が生かされていることを感じる。自分のために世界があることを感じる。

慈愛と感謝に満ちていくそうです。

幸せに生きていきたいなら、無力感をもつこと。

大切な視点だと思いました。

 

「間違っている」とか「正しい」などと、自分で判断しないことです。不快と感じたものは避けていいですし、快ばかりを感じようとしていいのです。おいしいと感じるものを食べ、まずいものは避けていい、ということです。

 

理想と現実のギャップを感じるのも、万能感をもっている証拠

人と比べて落ち込む。
現実の自分の姿が、みじめに思える。
何もできない自分に、自己嫌悪を感じる。

 

それも、すべては「万能感」です。

人と自分を比べたり、今の自分をみじめに思うのは、「理想の自分は違うのに」と思っているからです。

理想と現実にギャップを感じるのは、「万能感」をもっている証拠。

「自分はスーパーヒーロー」だと思っているからです。

 

「スーパーヒーロー」のはずなのに、こんなことしかできてない。
あの人より劣っているなんて、おかしい。

 

現実の自分を受け入れられていないのです。

自分は無力な存在だと受け止めれば、落ち込むことはなくなります。

だって、大自然を前にして、「万能感」に浸って落ち込むなんてできないですから。

そして、「万能感」をもっている自分を何とかしなきゃと思うのも、「万能感」に支配された考え方です。

万能感に気づいたら、どうすればいい?

自分の万能感に気づいたら、どうすればいいか?

結論としては…

 

何もしないこと。

 

「何とかしなきゃ」というのは、「万能感」です。

自分で何とかできると思っているから。

だから、何かに気づいたときには、何もしない。これ以降は神の領域だ。

それを悟ることです。

「神のみぞ知る」、それでいいのです。

つい、何とかしようとしてしまうんです。

 

自分のこの感情、何とかしなきゃ
あの人のあの行動、何とかしなきゃ

 

それは、万能感に支配された考え方。

「自分には何もできない」ことを知るだけでいい。

その無力さを受け入れたときに、万能感は消えるそうです。

考えてみたら、それしかないんです。無力を受け入れることが、万能感を捨てることですから。

心理学者やカウンセラーの人は、いつも言っています。

「その感情を、そのまま受け入れることだよ」と。

いつも聞く話なので、またそれか…、本当にそれしかないのかな?という疑問がありました。

でも、「万能感」の話を読んだら、納得できました。

「何とかしなきゃ」という「万能感」こそが、悩みを引き起こしている。

「何もできない」ことを受け入れると、「何でもできるようになる」。

不思議な話です。

「万能感」がホルモンバランスを崩す

体調が悪くなると、ホルモンのバランスが崩れていると言いますよね。

本当に崩れているのだそうです。

「万能感」をもっているときは、ノルアドレナリンが分泌されるそうです。

ノルアドレナリンとは、緊張ホルモン。戦闘モードになるわけです。

なぜなら、良い悪いを判断しなければならないから。

犯人探しを必死でしている状態、つまりは戦闘状態です。

だから、ノルアドレナリンが過剰に分泌されるそうです。

そうすると今度は、それを静めようと、セロトニンが分泌されます。

セロトニンは安心ホルモンです。戦闘モードとは逆。

ただし、セロトニンも過剰に分泌されると、それを抑えようとする動きが出るそうです。

安心ばっかりしていたら、危険だからでしょうか。

そして、セロトニンを抑えようとしているときは、待つしかないそうです。空白期間のようなものです。

休息が大事だというのは、そのため。

ホルモンが整うまでは静かに待つしかないということです。

だけど、完璧主義の人や、根性論を出してしまう人は、それでも動こうとします。

「怠けちゃいけない」と。

そうすると、過剰になったホルモンが整うことができずに、燃え尽きたり、無気力になったりする。

そういうメカニズムなのだそうです。

休んだほうがいいというのは、ホルモンの問題だったのです。

本当に休息が必要です。

ちょっと休めば、ホルモンが整ってくれます。

万能感を捨てると、本来の世界が見えてくる

本を読んだり、人に相談しても、何も変わらないときって、ありますよね。

それは、自分の判断をはさんでしまうからです。

 

こんなことしても、どうせ意味ない
これで変われるとは思えない

 

「これには意味がない」と自分で判断している、つまり「万能感」です。

「これでは自分は変わらないことを知っている」と思っているからです。

人に言われたことを、とにかく素直に実行してみる。その結果、ある日パッと変わる。

それは、その人が「万能感」を捨てたからです。

 

自分にはわからない

 

人から何かを言われたとき、「わからない」と思うことが理想の反応。

試してみないとわからない、ということです。

本当に興味がなかったり、そこに不快を感じたりしたら、違うのでしょうけど、ちょっとでも心にひっかかるものがあるなら、まずは素直に試してみるというのがいいですね。

それは、会社での改善案に対しても同じことです。

すぐに、「それは無理だよ」とか、「今までのやり方とは違う」と言ってしまいがちですが、それは、誰にもわからないこと。

「万能感」を捨てて、素直に実行してみる会社が、伸びるのかもしれません。

 

勧められたものに対して、それが不快でなければ、アレンジすることなくとりあえずやってみることです。一定期間――最低でも数ヶ月間――は我が身を観察して経過を見る必要があります。

 

「アレンジなく」というのは、大きいなと感じました。

私は常に、自分なりにアレンジしてしまうので。

勝手に判断しているということですね。

「ゼロ秒思考」のメモ書きを試そうと思ったときも、最初は、自分なりにアレンジしようと思いました。

だけど、「一切のカスタマイズはNG!」、言われたとおりにやらないと良さを実感できないと書かれていて、ハッとしました。

それ以来、アレンジしないということを、心がけるようになりました。

まずは、素直に聞いてやってみる。

それは「万能感」を捨てるという手順だったのですね。

まとめ

判断を差し挟まずに、コツコツと我が身を経過観察し、ある日心にストンと落とし込まれた風景は、その人にとっての全データになっていきます。それはその人にしかわからないデータだからこそ、その風景によって「私」は何のために生きているのか、ということも見えてくるのです。

 

大自然を目の前にしたときの謙虚さを思い出して、自分がいかに無力な存在かを自覚する。

自分が生かされていることを感じる。

そうすれば、感謝と慈愛に満ちあふれる自分になります。

「万能感」を手放し、「快・不快」コードで生きていくこと。

なかなか深い気づきとなりました。

 

まとめ
「何とかしなきゃ」と思うと無気力になる。

「何もできない」ことを自覚すれば、無力感と謙虚さが手に入る。

イヤな感情が出てきたときは、「何もしない」のがコツ。

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