ハーバードの心理学講義|本当の自分を大事にする方法

ハーバードの心理学講義

仮面をつけて生きてることに自信をもっていい。この本は、そのことに気づかせてくれました。

 

やっぱり隠さなきゃいけないの?

いちご

回復のための場所を用意して、ちゃんと解放してあげるよ。

 

仮面をつけるのは、服を着るのと同じ。

学校では学生服。仕事ではスーツ。パーティーにはドレス。

パーティーにジーンズを履いていったら笑われるし、逆に、学校へドレスを着ていったら笑われる。

何が正しいかではなく、TPOに合わせて堂々としてればいいってことを、この本で感じました。

重要なことは、家に帰ったら部屋着に着替えること。本当の自分を解放してあげるのです。

 

「自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義」
by ブライアン・R・リトル

シンデレラは12時まで。家に帰ったら元の自分に戻ろう。

シンデレラが楽しい時間を過ごせたのは、12時までという条件付きだったからではないだろうか。

12時すぎてもなお、プリンセスのように振る舞っていたら、ただの異常者。

そう考えたら、シンデレラが元の姿に戻ったのは、すごいことのように思えてきました。

会社では会社の仮面。家庭では家庭の仮面。それが当たり前。

そこに悲劇が起きるのは、会社で家庭の仮面、家庭で会社の仮面、そんなふうにチグハグになってるからかもしれません。

どんなにステキなドレスを着ていても、家に帰ったら部屋着に着替えなきゃいけないのです。

それをこの本では、「回復のための場所」と言っています。

仮面をつけるのは悪いことではない。むしろ、生きていくうえで必要なこと。

だって、人の前ではやっぱり、ネガティブな言葉とか、愚痴とか、おおっぴらには言えないですよね。

我慢して、ぐっと呑み込まなきゃいけない言葉もたくさんある。

「好きなことをやろう」と言っても、やはり、無神経に振る舞ってもいいということではない。

どうしても、他人の前では仮面をつけざるをえないのです。

それを当然のこととして受け入れ、そんな自分を認めていい。

ただし重要なことは、ちゃんと「本来の自分に戻る」という意識と、その場所をもっておくことです。

じゃないと、自分を見失ってしまいます。

子どもはワガママです。自分が無視されてると思うと、すぐに駄々をこねる。

でもそんなとき、「あとで遊んであげるから、ちょっと待っててね」という言葉で落ち着くこともありますよね。

「あとで遊んでもらえる」――それが理解できるだけで、おとなしく待てるようにもなる。

大人も同じ。

「家に帰れば本来の自分に戻れる」――それが理解できるだけで、ちょっと踏ん張れるようにもなるかもしれません。

しんどくなるのは、四六時中、同じ仮面をつけているからではないでしょうか。

ずーっと、この状態を続けなくてはいけないと思い込んでしまう。もしくは、そうせざるを得ない状況にある。

それが、心が病んでしまう原因なのだと思います。

 

「回復のための場所」を見つけることです。これは、普段と違う行動がもたらすストレスから逃れ、「本来の自分」としてありのままに過ごせる休息所のようなものです。

 

仮面は悪いものではない。そう思えてきました。

 

アタシはアタシでいいの?

いちご

でも、TPOだけはわきまえよう。

他人へのウソより、自分へのウソに気をつけよう

他人に対して、(悪意のない)ウソをつくのは、悪いことではない。

では、ウソが問題になるのは、どんなときでしょう?

それは、「自分に対するウソ」。

「傷」がつくのは、自分にウソをついているから。

素直じゃない。本来の自分じゃない。そんなことが自分を傷つけていきます。

私も、父親に対して素直になれなかったことで、ずいぶんと苦しんでしまいました。

本当は、大好きだったのです。父のことが。

だけど、父親を憎んでいる母親に遠慮し、嫉妬をしている兄に罪悪感を抱き、素直に父を好きでいることが、できなくなっていました。

もっと「大好きだよ」って伝えたかった。

もう亡くなってしまった父親に、それを伝える機会を永遠になくしてしまったのです。

遠慮することなんてなかった。自分の本当の気持ちを、もっと素直に表現すれば良かった。

それが、大きな傷となっています。

そんな経験をしたからこそ、理解できました。他人へのウソは、大したことじゃない、と。

自分にウソをつくのだけは、やめよう。

「ありがとう」って、言いたかった。

いちご

プロ意識があれば、キャラクターの外に出られる

この本では、大切なことを成し遂げるためには、「キャラクターの外に出る」ことができると言われています。

キャラクターの外に出るとは、本来の自分とは違う自分になること。

火事場の馬鹿力と言われるようなものです。必要とあれば、いつもと違う力がわきでてくる。

悪意でも偽善でもなく、自分の可能性を発揮することです。

それはむしろ、プロ意識。

 

もとの性格と違う自分を演じることは、自分を偽るというようなことではなく、私たちの可能性を広げてくれる、意義のあることなのです。

 

この本の著者は、心理学の教授です。

講義は面白くて大人気だそうですが、実は超内向型。それなのに、なぜ、面白く講義ができるのか?

それは、心理学と学生が大好きだから。

そのためなら、何でも頑張れるそうです。

自分をおさえてしまう人は、イヤなことをイヤイヤ、しかも全力で頑張ってしまう傾向がある。

だから、イライラする。不機嫌になる。生き苦しさを感じてくる。

きっと努力の方向が違っているのです。イヤなことではなく、好きなことに頑張れば苦しくない。我慢も努力も喜びに変わる。

本音で生きようってことですね。

本音で生きていけば、自分を偽ることも苦ではなくなる。不思議なものです。

本当にやりたいことのためには、内向型でも外向型になれる。

だから、大事なのは性格ではなく目的なのです。

 

性格に生きるのではなく、目的に生きよう!
アタシにも納得できる目的がいい。

いちご

自分の性格について、他人に話す必要はない

「本当は、こんな自分じゃない。」

そう言いたくなるときがあります。

そんなことで、必要以上に悩んでしまうこともあります。なんだか自分がウソっぽい、と。

でもそれは、弁解であり、言い訳かもしれません。

「偽善だよね?」と言われることから、自分を守りたいだけ。先に白状することで、素直な自分を演じようとしている。

逆に、不自然ですね。

「素直になる」こととは違うのかもしれないなと、この本を読んで感じました。

なぜなら、言葉で表現するには限界があり、本当の自分を正確に言い表すことができないからだそうです。

言葉にすることは大事ですが、逆に、言葉にすることで暗示にかかってしまうような側面もある。

「自分は内向型だ」と思っていると、常に内向型であるように振る舞うとか。

だから、ちょっと違う行動をとったときに、「本当の自分ではない」と、無意味な悩みを引き起こしてしまうのです。

他人に、「私は○○な性格で」と言うと、「○○な人」という偏見をずっともたれてしまう。

私は母親から、「うちの子は○○で…」と言われるのが大嫌いでした。そうじゃないときもあるし!と。

 

私は、人はもっと自由な存在だと信じています。キャラクターの外に出て行動し、変化する特性を使い分けることで、人は大切なプロジェクトを進めることができ、さらなる幸福を追求することができるのです。

 

自分の性格を、固定したものだと考えないほうが良さそうです。

状況によっても変わるし、日によっても変わる。コンディションによっても変わります。

そして、一番変わるのは、目的に応じたときです。

「自分は○○」と強く思い込んでしまうと、違う力を発揮したい場面で発揮できなくなる。

特に、他人の思い込みは結構しんどいので、自分の性格については言わなくてもいい。

じゃあ、性格の話ではなく、何を言えばいいか?

それは、自分が取り組んでいるプロジェクトや、目標や夢。

大切にしている自分の目的を話すことで、性格にとらわれなくなるかもしれません。

ちょっと希望が出てきました。

「○○のために頑張っているんです」と、胸を張ろう。

「でも本当の自分は・・・」と思う必要はないのです。大切なのは、その目的だから。

心のバランスをとるために、「回復のための場所」を、ちゃんと確保することを忘れずに。

窮屈な和服も、ちょっと辛抱するしかない。家に帰って部屋着になったときにラクになればいい。

「この時間だけ」っていう意識が、忍耐力ですね。

アタシはアタシでいいんだ?

いちご

そう。心理学で証明されてることです。

学問って、安心感を与えてくれるものですね。

 

ということで。

 

イライラがくれたもの。
ウソをつくことは悪いことではない。

大事な目的のためには、性格は自由に変化させられるもの。

ただし、「回復のための場所」を、ちゃんと確保しよう!

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