痛みと悲しみの真ん中を~直視できないときは、しないほうがいいものだ

実は撮り鉄だった自分。笑


いや、そう言っては、
本物のマニアに怒られるだろうな。
ちょこっと撮ってみただけ。
さほど詳しくもない。


ローカル線を見ているのが
ただ面白かった。


でも、しばらくのあいだ、
そんな事実を封印していた。


それは、父が亡くなってから。


ローカル線が好きなのも、
カメラが好きなのも、
すべて父から受け継いだもの。


そのことを本気で自覚したのは、
父が亡くなったあとだった。


父のアイパッドを見ていたとき。


出てくる、出てくる、
私のと似たような写真が。


絶句……


あわててアイパッドを閉じた。
それ以来、開くこともできない。


こんなにも似ているのに、
なぜ、あんなに離れていたのだろう。


一緒に旅行をすればよかったのに。


押し寄せてくる、後悔と自責の念。


このことは、
家族の誰にも言っていない。


母に、
「お父さんのアイパッド、
あなたが持っていく?」
と聞かれたけれど。


「いらない」と答えた。


父が亡くなってから、
「なぜか最近、カメラに興味が
なくなってきたなぁ」
と、思っていたけれど。


きっと無意識のうちに、
痛みと悲しみから
逃げようとしていたようだ。


やる気が出ないときって、
自分では理由がわからない。


わからないけれど、
脳のなかではハッキリと、
理由というものがあるものだ。


人は誰もが、痛みや悲しみを
感じないようにしながら
過ごしているのではないだろうか。


自分がわからなくなる理由は、
そのためだ。


自覚したほうがいい場合もあるし、
自覚しないほうがいい場合もある。


痛すぎるから。


麻酔なしに手術を受けられるほど
人間は強くない。


手術の良し悪しではなく、
あまりの痛さゆえに、
ショック死してしまうことも
あるからだ。


だから、
あまりに痛いときは、
直視しないほうがいい。


人生にも、
麻酔は必要なのだ。


意識したのではなく、
ふとした偶然から、
以前の写真をひもとくことになった。


だいぶ麻酔が効いてきた
証拠なのだろう。

 

ああ、もう一度、
写真を見てみようと思った。


痛みと悲しみは
まだまだ感じるけれど。


痛みと悲しみの真ん中を
突き抜けていこうと思った。


私は、父親譲りなのだ。

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