仕事を断れないのは、相手をモノ扱いしているから?~箱の法則

 

自己主張できない。空気を読もうとする。いい人の顔をする。実は、相手への気遣いではなく、相手をモノ扱いしているからかもしれない。

 

「箱」の法則シリーズ、なかなか感慨深かったです。

 

自分の小さな箱から脱出する方法自分の小さな「箱」から脱出する方法|抵抗をやめて外は安全だと気づこう 2日で人生が変わる箱の法則2日で人生が変わる「箱」の法則|他人に執着するのは、相手をモノ扱いしている証拠。

 

「箱」の中に入ると、自己正当化に必死になる。

他者は、自己正当化のための道具にすぎなくなる。

人を「物」としてしか見ていない。

 

「箱」の中とは、そんな状態です。

相手は悪者であってほしいという願い

モノ扱いされた人は、当然、心を入れ替えるなんてことはしません。

自分も、自分が正しいことを証明するためには、相手は悪者でいてくれないと困ります。

自分は正しい。相手が悪い。それが自己正当化ですから。

結果的に、自分にこだわる自分、悪者である相手、というのが永遠に変わらなくなるわけです。

要するに、「箱」に入る目的は、相手を悪者にすることです。

「なんであの人はいつもこうなのよ!」と、ずっと言い続けていたいのです。

状況を変えたいとか、自分を変えたいとかは思っていない。

ただただ、悪口を言う対象がほしいだけ。

だから、イライラは果てしなく続く。

イライラが果てしないのは、当たり前だったってことです!

 

うーん、、そうかもしれない。

悪者でいてほしい。

そんな願いがあります。

職場でのイライラに限界。それでも自分の要望は言えずじまい。

職場でのイライラに限界がきました。

あまりにも気分が悪くなり、会社を抜け出してボーッとしてしまったほど。

私はずっと、言いたかったのです。

 

「この業務はAさんにやってほしい」と。

 

だけど、ずっと言えずにきた。

なぜなら、Aさんは私の大嫌いな人だから。

見ているだけでイライラしてしまうので、業務の提案なんてしたくない。

それに、AさんもAさんで忙しいしなぁと、じゃっかんですが気遣う気持ちもあり。

 

だけど、そんなことは言ってられない。

もう無理だと思い、今回ばかりは上司に勢いよく言いました。

「もう無理です!」と。

その返答は、「そうは言っても、Aさんにはデキないからねぇ」

いつもどおりの答えだな…と思いつつも、どこか安心してしまった自分もいました。

 

 

やっぱりAさんは、仕事のデキない人なんだ。

 

は! これぞ「箱」の法則!

気づいて驚きました。

本当に言いたい人には、何も言えてなかった

私は、断りたいことは断るタイプ。そう思っていました。

「ノーと言えない」なんて、あり得ない。

だけど、よくよく考えてみたら、「ノー」と言える人は、どうでもいい人。

別にどうってことないから、気にせずに言える。

そんなことに気づいて、顔面蒼白!な思いです。

 

やっとの思いで、「私には無理です」と上司に言ったのです。

 

それなのに、やんわりと否定され、すごすごと引き下がってしまった。

まして、Aさんに直接言うなんて、絶対に無理。

 

そのときに思ったのです。

なぜだろう?

 

本当に言いたいことが何も言えてない。

本当に言いたい人には何も言えてない。

 

自己主張はきちんとしたいと思いつつも、全然できてない。

気づいてビックリです。

 

言おうとすると、声がふるえ、体がこわばり、あまりに緊張しすぎて苦しくなってくる。

言ったら言ったで自己嫌悪におちいってしまう。

結果的に何も言えない。

そのことで相手をうらみ続けることになる。

 

まさに「箱」の法則

 

もしかしたら、相手は悪者ではないかもしれない。自分を正当化できなくなるかもしれない。

それが怖くて怖くてしょうがなかったんだと思います。

だから向き合うことから避け続けてしまう。

相手は実は悪者ではない。

そこに気づきたくないわけですよ。全力で。

 

そうは言っても、相手だってやっぱり悪い

いちご

 

ひとつ希望を感じたのは、相手を「人」として見た結果、相手から離れることができるようにもなるという話です。

自己正当化のための道具だからこそ、執着する

相手を憎み続ける。

イライラしつつも、離れることができない。

それはつまり、自己正当化のための道具として、相手を必要としているってことです。

だから執着するのです。

自己正当化できなくなることが怖いから。

つまり、相手をモノ扱いしているってことですね。

配慮でも何でもない。心が弱いのでも、気が優しいのでもない。

ただ単に、道具を失いたくないだけ。

悪者がいてくれないと、自分は生きていけない。

「正義のヒーロー」ぶってるわけですね。

悪がいるから戦わなきゃ!と。

だから、相手を「人」として見ると、結果的に、相手から離れることもあるそうです。

自己正当化のための道具が必要なくなるからです。

「人」として見るというのは、寛大にならなければならないことじゃない。

気遣わなかきゃいけないわけじゃない。

道具ではないということ。

それだけ自覚できればいいのかもしれません。

道具じゃなければ執着することもなくなります。

愛するか、必要ないか、そのどちらかになるわけですよね。

なるほどなぁ!と思いました。

会社に要望書を提出してみようと思う

そんなわけで、会社にはもう一度、要望書を提出してみようと思います。

このまま続けていても気持ちは限界だし、かと言って、前述のとおり、自分の要望をとおすのもとても怖いのですが。

結局、どちらにしても気持ちは限界。

ならば、素直な気持ちを選択するしかない。

私自身にとって、「要望を伝えない=自分への裏切り」だったわけです。

そこを終わりにするために、果てしないイライラを手放すために、自分に素直に行動するしかない。

そんなことを、本を読みながら思いました。

 

ドキドキしています
実はアタシもドキドキ

いちご

 

イライラというのは、自分勝手ではなかった。

ただ単に、怖かっただけです。

 

ということで。

 

イライラがくれたもの。
イライラを手放すというのも、勇気がいること。

自分はイライラに執着している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です