2日で人生が変わる「箱」の法則|他人に執着するのは、相手をモノ扱いしている証拠。

2日で人生が変わる箱の法則

 

「箱」の外に出るとは、他者を「人」として見ること。それは決して、人に寛大になるべきという意味じゃない。それがわかって、安心できました。

 

自分への裏切りが、自分を「箱」の中に閉じ込める。

「箱」の中に入ると、自己正当化に必死になる。

それが「箱」の法則でした。

 

自分の小さな箱から脱出する方法自分の小さな「箱」から脱出する方法|抵抗をやめて外は安全だと気づこう

 

「箱」の中にいると、他者の意見に耳を傾けることができません。

自分の正当化が最重要課題だからです。

他者を「人」ではなく、「物」として見ているのです。

 

自分を傷つけた人に、優しくなんてできないよ

いちご

優しくしなきゃいけないということじゃないんです

 

この本は、「自分の小さな『箱』から脱出する方法」の続編です。

「2日で人生が変わる『箱』の法則」
by アービンジャー・インスティチュート

人を、「物」と見るか? 「人」と見るか?

この本によると、「箱」の中と外とでは、人に対する見方が違います。

 

  • 箱の中:人を「物」と見る
  • 箱の外:人を「人」と見る

 

「物」として扱われた人は、当然、反発しますよね。

だから、自分が「箱」の中に入っている限り、何も変わらないのです。

「箱」の外へ出なければならない。

人間関係がうまくいかないとき、相手を「物」として見ていないでしょうか?

人扱いしていないということです。

その理由は、自分に素直になれなかったこと。そのせいで自分の正当化に必死になっていることです。

 

「自分の気持ちに反した行動を、私たちは『自分への裏切り行為』と呼んでいます。」

自分自身にそむくということは、闘争へ向かうということなんです。」

 

人と争ってしまうのは、自分が自分を裏切っているから。それがきっかけで、相手を「物」として見ているからというのです。

本当に言いたいことを言えていない状態でしょうね。

素直になれない自分を正当化するために、相手を攻撃し始める。モノ扱いしてしまうわけです。

「物」と見るとは、人を「道具」だと思ってしまうことです。

 

なぜ、できないの?
なぜ、言うとおりにしてくれないの?

 

相手を、自分の思いどおりに動いてくれる道具だと思っている。

そしてそれは、自分への裏切りから始まる。

 

自分への裏切りとは、例えばこういうこと。

 

  • 謝るべきだとわかっているけれど、謝らない
  • 簡単に手助けできるときでも手を貸さない
  • 相手に役立つ情報を知らせない

 

本当はしたほうがいいとわかっているし、したい気持ちもあるけれど、何らかの事情で、自分の気持ちにそむいてしまうのです。

で、それだけの事情があったのだと正当化を始めることになる。

そこから相手との争いにまで発展してしまう。

そういう図式です。

 

だからといって、許したくない

いちご

 

「箱」の外に出るのが難しいのは、自分が傷ついているからですね。

自分も自分だけど、相手だって悪いじゃないか!と言いたい。

許せないし、憎たらしい。

 

だけど、「箱」の外に出て、相手を「人」として扱うとはいっても、相手に寛大にならなければならないとか、優しくしなきゃならないことではないそうです。

むしろ、その逆もある。

「人」として見た結果、離れることも可能になる

この本の中で、この話が一番、心に残りました。

暴力をふるう旦那と、なかなか別れられずにいた女性の話です。

なんと、相手を「人」として見はじめたときに、相手のもとに戻る気がなくなったそうです。

 

彼を愛していないことを正当化する必要がなくなったことで、私は離れることができた

 

旦那と別れられなかったのは、相手を愛していない自分を正当化したかったから。

それこそ、「自分への裏切り」の典型的なものですね。

本当は別れたい。もう愛していない。

だけど、罪悪感を抱いてしまって別れられない。

「別れないという選択=自分への裏切り」をすることで、自己正当化する必要が出てきたわけです。

そして、自己正当化は、相手を「物」として見ている状態。

なんだか、すごく納得のいく話でした。

 

「相手と別れたいけど別れられない」
「会社を辞めたいけど辞められない」
「一歩ふみだす勇気がない」

 

そんなとき、人は必ず正当化をします。

 

「だって○○だから…」と。

 

それはもはや、相手を「物」として見ている状態です。

自分を正当化するための手段・道具にしているにすぎない。

 

実際、人が自分自身や他人を傷つけるのをやめさせようともせず、そのままにするとしたら、それはその人を人と見ているからではありません。普通は、別の自己正当化の動機があって、その正当化はしばしば人々を寛大にし、それで正当化されたと感じるのです。

 

自分が正当化されたという安心感を抱きたいだけ、ということです。

そのとおりですね。

逆に、相手を「人」として見はじめると、正当化する必要がなくなるので、望んだとおりに別れられるし、辞められるし、一歩ふみだす勇気がでてくる。

寛大にならなければいけない、優しくしなければいけないということではないのです。

正当化する必要がないわけですから、当然、心は軽やかです。

軽やかな気持ちで、相手と離れることができる。

優しくしなきゃという義務感を背負うわけでも、罪悪感を抱くわけでもない。

「人」として見た結果、離れることにもなる。

ちょっと安心感がわきました。

過去を忘れられないのは、自己正当化したいから

人を物と見れば、自分を正当化するために自分が被った不公正にこだわるようになる。ひどい扱いと苦しみをよみがえらせて。反対に、人を人として見れば、正当化する必要がなくなります。すると、自分が被った最悪のことにこだわらなくなり、最悪のことを忘れ、他人の中に悪いところだけでなく、よいところを見ることができます。

 

自己正当化をするときは、相手を悪者にしたいという目的があるので、相手の存在が必要になります。

逆転現象ですね。

執着とも言えます。

執着は、自己正当化であり、自分への裏切り。

本当はそうしたいわけではないということです。

 

独りでいるときでも、常に私が憎んでいた人たちがかたわらにいた。というのも、彼らと交わらないよう常に自分に言い聞かせるためには、私が何をなぜ憎んでいるかを忘れてはならなかったのだから。

 

過去を忘れられない。トラウマが消えない。

それは実は、自己正当化のために利用しているだけだったのです。

ずっと憎み続けることで、自分が正当化されて、気持ちがまぎれますからね。

そして、「正当化が必要だと、自己正当化できるような見方ですべてを見るようになる」そうです。

だから、すべてのことが、そのような方向でしか見えなくなるのです。

「ほら、やっぱり」と。

 

そのとおりだなぁ~と感じ、過去にこだわってる自分が恥ずかしくなってきました。

「箱」の外に出たいです。

 

トラウマ論にも釘をさすような話でした。
正当化したいだけかも…

いちご

 

ということで。

 

イライラがくれたもの。

人に寛大にしなくてもいい。

相手を「人」として見れば離れることも可能になる。

過去を引きずるのは正当化したいだけ!

やっぱり、自分に素直になろう

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