【文章術】何のために書くか、ゴールを意識していますか?~伝わる!揺さぶる!文章を書く

伝わる揺さぶる文章を書く

 

書くことは、考えること。
考えることは、自分に正直になること。
つまり「書く」とは、自分の正直な意見で人と関わること。
人と関わり、社会と関わる、とても能動的な作業です。

 

「伝わる!揺さぶる!文章を書く」
by 山田ズーニー

 

この本を読んで、なぜ書くのか?という観点が、自分には抜けていたことを感じました。

書く理由は、ズバリ、「人に伝えるため」。

そもそも言葉は、自分の意見を他者に伝えるために発達したものです。

泣き声や合図、シグナルなどの原始的な方法だけでは、足りなくなったからでしょう。もっと高度なことを伝える必要が出てきたのです。

それなのに、言葉を使いこなせていない。伝わっていない。

「伝える」という目的を忘れていることが原因ではないでしょうか。

「伝える」とは、「人と関わる」ことです。

きっと誰もが、自分の思いをお母さんに伝えたくて、自分の気持ちをわかってほしくて、言葉をおぼえたはずです。

「人と関わる」という積極的な姿勢こそが、「書く」作業なのだということに気づきました。

書くゴールとは?~望む結果を明確にしよう

 

 

書くことのゴールを考えよう

 

書くことのゴールとは、読み手の心を動かし、状況を切り開き、望む結果を出すことです。

 

「文章」といっても、小説やエッセイのような、美しい文章だけを指すのではありません。

ちょっとした伝言メモや報告書など、日常のあらゆる場面で、書くことが求められます。

その文章の目的は、相手に自分の意志を伝えること。

そのためには、ゴールを意識して書かなければ伝わりません。

自分だけの覚え書きであっても、「未来の自分に伝わる」ことが必要です。

「伝わる」とは、「相手の心が動く」ことです。人は、心が動かないと、行動しないからですね。

そして、相手の心が動いてこそ、状況が変わり、望む結果が得られます。

「心が動く」というのは、「共感」「納得」「発見」です。そこを引き出すことが、書くコツになるのです。

そのためには、どうしたらいいのか?

それは、自分で考えなければなりません。答えはすべて、自分の中にあります。

 

「書く」とは、「考える」こと
「書けない」とは、「考えられない」こと

 

子どもの頃は、「詰め込み」「暗記」がメインで、「言われたとおりにやりなさい」と強要されてきました。

誰も、「考え方」を教わったことがないのです。

自分で考える力が育っていないから、書けない。

実は、「どう書いたらいいか?」がわからないのではなく、「どう考えたらいいか?」がわからないでいるというのが本質です。

そこを自覚できずに、「書き方」だけを学んでも、人を動かす文章は書けませんね。

「書く」ためには、「考える方法」を学ばなければならないのです。

「自分で考えろ」というのは正論ですが、そもそも、考える方法がわからないから、どうしようもないのです。

考えることは、苦しい作業です。苦しいうえに、方法がわからない。教わったこともない。

だから、「かわいい」「ヤバイ」などの便利な言葉を繰り返し、考えることから逃げてしまっています。

もっと自分の言葉で考えること。考える力をつけること。

それが、書くための基本です。

書く順序とは?~問い→理由→答え

 

文章の基本は、問い&答え。

「○○について、どう思うか?」
「自分は△△だと思う」
「なぜなら~」
「よって、自分の意見は△△である」

自分で問いを立て、根拠を示し、答えを述べる。

答えが、問いに対する自分の意見です。

意見が文章の最小単位であり、問いと根拠を省略したとしても、答えを省略することはできません。

だから、「自分の答え」を探すためには、自問自答を繰り返すことです。

問いの中に、意見の種があります。

意見の種は、問いの中にある

良い意見は、良い問いから。
論点(問い)を制する者は、文章を制する。

 

意見の種
  • 言葉にならないモヤモヤ感
  • 自分にとって切実な問い、解きたいナゾ
  • 形にならない違和感
  • 目がとまるところは心がとまるところ
    • 共感、驚き、違和感、反発

 

意見を出すためには、問いを発見しなければなりません。

問いを発見するためには、自分のモヤモヤしていること、違和感などに対して、「なぜ?」と繰り返してみることです。

そこが意見の種になります。

この本では、考えるポイントとして「遠回りの法則」と言われています。

 

遠回りの法則
  • 今を照らすには、過去と未来を照らす = 時間軸を広げる
  • 自分を照らすには、他者(社会)を照らす = 空間軸を広げる

 

今だけ、自分だけを考えるのではなく、過去・未来という時間軸と、他者・社会という空間軸を広げてみる。

その中で、今の自分の意見が見えてくるそうです。

なぜなら、読み手の心を動かし、状況を動かすということは、関係性を考えることだからです。

 

過去や未来の自分はどうだったか?
相手にとっての自分は、どう見られているのか?
社会の中での自分は、どういう存在なのか?

そういう視点で、自分の違和感やモヤモヤに自問自答を繰り返し、最終的に、文章のタイトルになる「問い」をしぼりこみます。

なので、タイトルや見出しを疑問形にすると、書きやすくなります。

どういう問いに基づいて書こうとしているのか、問いを意識して読む・書く習慣を身につけると、考えやすくなります。

自分で問いを立て、自分で答えを探すことは、とても骨の折れる作業です。

だから、「どうしたらいいですか?」と、答えを相手まかせにするような質問を繰り返してしまうのです。

それは、骨の折れる作業を放棄し、相手に丸投げしてしまうこと。

それでは、コミュニケーションが成立しないどころか、自分にとっての価値も生み出せません。

実はとっても、もったいないことをしているのです。

自分の考え、自分の意見にこそ価値がある。

そこがわかれば、自信をもって考えられるのではないでしょうか。

 

 

謝罪文はどう書く?~相手が受けたダメージを想像する

この本では、説得文、依頼文、議事録などの作成例が載っています。

 

  • 説得は、論拠が肝心
  • 依頼は、依頼される側の感覚を想像すること
  • 議事録は、議題を疑問形にすること

 

とても役立つ情報ばかりですが、なかでも強く心に残ったのは、謝罪文の書き方でした。

謝罪文こそ、相手の気持ちを変える、最も重要で最も難しいもの。そして、一番、心のない文章になるものですよね。

それを、どう書くか?

とても大事なことだと思いました。

 

謝罪文の書き方
  • 心から罪を認める
  • 相手に謝る
  • 相手が受けたダメージをつぐなう

 

正直なところ、なぜ自分が悪いのか? これからどうするべきか? 考えても考えてもわかりません。

だから、形式的な、心のない文章になってしまうのです。

そこを、自分の何が悪かったかを、「なるほど、そういうことか!」という気持ちになるまで考え抜くこと。

だから相手は怒っているんだということを、腑に落ちてから書き始めると、結果が出るのではないでしょうか。

特に、「相手が受けたダメージ」を想像することが、謝罪の意義だと感じました。

たいていは、「そんなつもりはなかった」「悪気はなかった」「自分もいっぱいいっぱいだった」という言い訳を聞かされます。

そうすると、どうなるか?

 

謝られた側が、謝る人の気持ちを配慮しなければならない
「この人も大変だったんだろうな」と考えざるを得ない
結局、モヤモヤは解消しないまま、泣き寝入りをする

そんな結果になります。

謝られた側のモヤモヤは解消しないので、謝るという目的が達成されません。きっと、時がたてば、同じことを繰り返すはずです。

怒っている側は、解決策よりも何よりも、「自分の受けたダメージ」に対してつぐなってほしいのです。

自分の落ち込んだ心を理解してほしい、と。

 

「相手の受けたダメージ」を想像する

 

それこそ、共感力であり、相手を理解することですよね。

それができたとき、謝罪文に大きな意義が出てくるのでしょう。

心がけたいと思いました。

自分の考えで人と関わりたい

次の著者の言葉に、とても感銘を受けました。

 

自分の想いを語れば、孤立する。自分の考えで行動すれば、打たれる。そのどこが自由なのか、と言う人がいるかもしれない。でもそれは、他ならぬ自分の内面を偽りなく表し、自分として人に関わって、得た結果である。自分を偽ることなく外界と関わっていけるということは、極めて自由なことだと私は思う。

 

表現力を磨き、成功体験を重ね、熟練して、自分の意志で人と関わっていけるようにしていくのだ。そういう自由を私は欲しい。そのための思考力・表現力の鍛錬なのだ。

 

「書き方」というと、どう書けばいいかという方法論にとらわれ、「こういうときはこう」「この次はこれ」と、典型的に考えてしまいがちです。

けれども、書くうえで重要なのは、自分の想いを表現すること。

そしてそれが、とっても怖い。

多数意見に合わせ、空気を読み、無難な文章を書いているほうがラクです。

だから、自分で考えることを放棄してしまうのです。素直な表現なんてしないほうが要領よく生きていけるから。

でもそれでは、本当の満足は得られない。

自分の頭で、必死になって自問自答を繰り返し、自分の答えを出すこと。それを表現すること。

それこそが、生きている価値になるのではないでしょうか。

とっても難しく、だからこそ、意義のあること。

書くことをとおして、人との関わりまで考える。

書くということが、思っていた以上に能動的な作業なのだと、改めて感じました。

 

正直という戦略をとる。つまり、自分に忠実でありつつ、かつ人と関わることを目指す。  
そのためには、厳しい文章術の鍛錬が必要だ。なぜなら、自分の正直な姿を表すところは、自分の中ではないからだ。自分の中ではない。紙の上でも、パソコン上でもない。「相手の中」だ。 

 

まとめ

書く作業は孤独ですが、かといって、独りよがりで良いのではなく、読み手を意識しないと状況は動かない。

結果を出すための文章なのだということを、意識するようになりました。

職場で、報告書や指示書を書いても、誰の心にも届かない。それでは、せっかくの作業がむなしい。

相手の心に届き、状況が動くような文章を目指したいなと思いました。

「人や社会と関わる」という視点が、書くためには必要だったのです。

文章に対する意識が変わってきました。

 

ということで。

 

まとめ
自分の正直な意見で人と関わる。

そのために、自分の頭で考え、自分で問いと答えを見つけ出そう。

常にゴールを意識しよう。

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